僕はSNSを使うことに疎い。むしろ疎すぎる。
年齢に関係なくそういう人はいるのかもしれないが、このままだと間違いなく時代の流れからは取り残される人間なのだろうと思う。危機感はないが、だいぶ危うい気はしている。そもそもスマホを持って2年も経たない程である。スマホを持っていなかった頃、一度自分より若い人から、スマホを持っていないことに対して「え?どういうこと?逆にどうやって生きてるの?」ぐらいに返されたことが本当にある。
いや実は最近までスマホの必要性を感じていなかった。(今もそこまで感じていないが。)
現に使う機能が結局変わらない。メール、音楽、計算機、写真、Amazon、インスタくらいだ。今手元のスマホで確認したが、やっぱり間違いない。そもそも押すボタンが限られている。(このボタンという表現も危うい。)
もっと言えばネット検索すらあまりしない。検索に対して答えが出過ぎて選ぶのに困る。だから、分からないことは、結局信頼している人に聞いて決めることが多いように思う。
カメラに興味を持った頃なんて正にそうだった。
右も左も分からないまま撮ってみて、周りで撮っている人が使っているものを見てはヨドバシカメラに行って聞いて、好きな写真家の方の写真集を買っては撮影データを見て色んな取り方がある事を知った。そこから撮影者の意図、表現方法によってカメラの使い方が異なり、実際に絵に差が出来ることを知るきっかけを掴めたのだ。もちろんそれだけではない。自分の大好きな写真家の方々の写真展に行き、実際に質問し、生の声を聞いたことや、他の人がする質問から新たな疑問が生まれたりしたことも大きかった。自分はどちらかというと、そういう実際に自分が何か感じ取れることのできる場所から物を考えるタイプだった。
そのほかにも写真のジャンルを問わず自分で知りたいことを学んできたつもりだが、結局一番は、行ってみたい場所に実際に行って撮影して失敗して帰ってきたことが一番意味深かった。よくある話に聞こえるだろうが本当にそうなのだ。経験が浅いままフィールドに出たことに悔いは全くないが、十分に撮影できる知識を持たないまま行ったことには悔いが残っている。それぞれの場所での素晴らしい景色を思い返すと、「やり直したいなぁ」と思うこともある。特に南極はいつか必ずリベンジしたい。自慢ではないが、RAWで撮影するということすら知らないまま撮りまくっていた時期すらあるのだ。どれもこれも今となっては良い経験であり、良い思い出だが、それらがあって今の自分になっている。
正直、写真やカメラについては実際の写真や現場を介さずネットで得ることができたものは、自分にとっては無かったと行っても過言ではないと思う。だからその感じのままで今まできてしまったのだろう。
しかし、ここ最近のリモートワークやYoutubeへの流れ、カメラ新機種が明らかに動画機能に重きを追いたシフトになってきていることから見ても、表現方法は多彩になってきているのだろうと思う。
写真と動画は、垣根がなくなりつつある。しかし一方でそれは、写真と動画の世界観の違いを感じやすくなってきているとも捉えられる。
何れにせよ、情報発信という意味では、SNSに不器用なままでは通用しなくなってしまうのかも知れない。
このままではいけない・・・
よし、そうだ。
まずは誰かに聞こう。