暗く長いトンネルの先に - KOKI YAMADA PHOTOGRAPY

インドで虎の歴史を知ろうと現地のガイドに話を聞くと、どうしても悲惨な部分を聞かざるを得ない。
出来る事ならば避けたい内容でもあるが、そういう訳にもいかないので、現地で私が学んできた話や、
文献に書き記された内容も参考にしながら、インドの虎達が辿ってきた道を少し簡潔に書き記したい。

およそ100年ほど前、虎の生息数は世界中で10万頭ほどいたという。
その内、インドに棲むベンガルタイガーは1930年代頃におよそ4万頭ほどいたとみられている。

1972年に虎の保護活動「オペレーション・タイガー」が始まる頃までには、生息数は激減し、何と世界で5000頭程、
インド国内では1872頭にまで減っていたという記録が残っている。
(世界全体・インド国内共に、僅か40年ほどの間で約95%が消えたという事だ。)

なぜこれほどまでに虎の数は激減したのか?

インドではそもそも数世紀にわたりインドの王族やインドを支配したイギリス軍人たちにより“虎狩り”が行われてきた。
虎があまりにも美しく、強さの象徴であったことで、虎を狩ること=勇ましい、名誉あること、としてみられた時代があったのだろう。
銃等の武器で殺したり、罠で戦えない様にして止めを刺しておいて、一体何が勇ましいのか?
全くもって腹立だしく、全くもって理解できないが、ハンティングスポーツと称して人気を博し、殺しては皮を剥ぎ、毛皮を飾り、
また頭部をトロフィーとして壁にかけ、自らの権力や腕を自慢するという勘違いした悪趣味極まりない輩が多くいたということだ。

インドのある王は、1000頭以上殺した記録を持つという。
また、ハンティング目的のイギリスの士官たちは、植民地時代には一人で300〜400頭を殺した者もいたという。
これだけでも十分に激減する要因になり得たのだが、これに追い討ちをかけるように、激減の要因となったのがインド独立後の農地開発だった。
イギリス支配下時代の貧困を抜け出そうと、インド中で大規模な食料調達計画が始まり、農地確保のために森はどんどんと切り崩されていった。
切り開かれた地には家畜が放牧され、野生の草食獣の食場や水場が奪われた。

そして、同時に”本来その地にいなかった集団の生き物達”は、免疫の無い野生動物達へ病原菌を運ぶ存在にもなり、野生の種を滅ぼしていった。

森が消え、獲物である草食獣が減ったことによって、当然、虎達は追い詰められ、行き場を失った。
その果てに家畜や人間を襲う結果となり(虎は人間を食べるために襲うのではなく、農地開発の結果、虎の生息エリアに人間エリアがあまりに近接すると、偶発的に遭遇したタイミングで事故が起きてしまう)、逆にその報復として、害獣扱いの中、人間は虎達を殺していったのだ。

また、農地開発は戦争が終わり故郷に帰還したり、突如釈放されたりした”もともと作物の作り方を学んでいない者達”をも追い詰めることに繋がった。彼らはいち早く金を得るために銃を持って密猟者に様変わりした。また、海外からハンティングを好む外国人を誘致し、多くの虎を殺すかわりにお金を得ようとする者もいた。

こういった事柄が積み重なり繰り返された結果として、たった40年もの間で約95%の虎が殺されてしまったのだ。

なぜこの様な話をするのか?

それは、植民地支配や戦争という人間の行為が及ぼす影響は、決して人間界のみにとどまらず、他の生態系すら破滅させる原因になり得るという点を含め、これらの出来事からは改めて学ばなくてはならないポイントが多くあると思うからだ。

物事が1:1の因果関係だけでは成り立っているのではなく、1つの行為が起こした結果が次の複数の事象の原因につながる、
それはまるで複雑系のような話だという点に注目しなくてはならないと考えている。
そして、これは決して、自分達が生きる現代の日々とは全く異なる世界の話として捉えるべき内容ではない。
まさに今、私たちが生きる時代、生活と照らし合わせてみても、同じく起きている事象らと何ら変わらない話として捉えるべきなのだ。

例えば、今私たちが使っている生活必需品はどこからきているのか?
何を元にどの様に作られ、何を潤し、何を奪っているのか?
その結果起きていることは何なのか?そして、発生した事象は次のどんな新たな問題を生み出しているのだろうか・・?
これを、一つの自分が好きな食べ物・製品だけから追って考えてみても、きっと即座に壁にぶち当たるだろう。
一人の生活スタイル、一企業の経済活動が無限に繰り返されることによって、気づかぬ間に、インドの虎達が辿った様な運命と同じ様なことを世界中で引き起こしていると考えなくてはならないのだ。

知りたくないことも多い世界だが、それでもやっぱり目を背けられない気持ちが、ある時から段々と強くなっている。
目を背けられないことに自分がどう向き合っていくか?
精神的な話ではなく、どういった犠牲の上で自分という存在は生かされているのか?

知っておかなくてはならないことばかりだ。
むしろまだまだ知らないことばかりで恥ずかしいぐらいだ。野生動物の写真を撮る様になってつくづくそう思う。

何だか今日はこんなことが言いたくて書き綴ってしまったが、
読んでいただいた方に少しでも響けば嬉しい。

先が見えない40年間もの暗黒の時代を経て、ようやく70年代に現在に至る虎の保護活動は始まったわけで、もしもこれが、ほんの少しでも、
例えば1年でもそのスタートが遅れていたら、現実的にインドにおける虎は絶滅していたのかもしれない・・・。
そう考えると、私が今出会っている虎達は、暗く長いトンネルの中で懸命に命を繋ぎ、ほんのわずかな光のもとに生き延びた、
強く逞しい虎達の子孫なのだ。
改めてそう思うと、尊敬と、感謝の気持ちでいっぱいになる。
このことも今一度、忘れずにいたいと思う。

今日7月29日はGlobal Tiger Dayだ。
今後、世界で野生の虎の生息数が右肩上がりになることは極めて困難だろうが、少しでも今の数が維持されていって欲しいと願う。
微力ながら、そのために自分が出来ることをやり続けたい。

コロナ禍の中も、日々、動物達の保護、密猟者との闘いをしている方々へ深く感謝したい。
そういう人たちのおかげで、自分は美しく生きる虎達の姿を見れているし、伝えることができるのだから。

※Global tiger day(World tiger day)は2010年から始まった取り組みで、世界的な虎の保護を目的に、虎の現状に対する認識を持ってもらい、人々の意識・支持を高めていくための活動です。

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